野村紘一の料理をするきっかけは母親

野村紘一

今日は私の料理するきっかけや私の思い出について書きたいと思います。

 

料理をするきっかけは母親

私は1年間のほとんどを自炊しています。が料理をはじめたのは、中学生の頃からなので、自炊歴は10年以上経ちます。私が料理をするきっかけになったのは、母親が料理下手だったのが原因です。

母は、専業主婦だったのですが、もともと食べることにあまり興味がなかったようで、健康に影響がなければ、それでいいという考え方の持ち主でした。そのため、味見をしたりせず、適当に作ることが多かったため、あまりおいしくなかったです。

また、洗い物が増えるのをとても嫌っていたため、作るメニューはカレーやチャーハン、鍋などの一品メニューが多かったです。父も最初は、母が作る食事に文句をいっていましたが、改善する気配がなかったため何も言わなくなりました。

父はもともと営業職のため、取引先との接待で外食する機会が多く、家で夕飯をとるのは週に1、2回だけでした。しかし、父のように外食することができない子どもの僕の場合は、不満があっても母の料理を我慢して食べるしかありませんでした。

しかし、中学校に入学してから、母の作るまずい弁当を昼休みに食べるようになったころから我慢の限界でした。小学校までは、給食があったため、なんとか我慢ができていましたが、三食とも母の手作りになるのは耐えられませんでした。

そこで、自分で作ることにしました。最初は、家庭科の調理実習で習った玉子焼きを作ってみました。調味料の塩をいれすぎてしまい、少し失敗してしまいましたが、繰り返して練習すると徐々に自分の希望する味付けに近づいてきました。そのうちほかの料理も挑戦するようになって、次第に楽しくなり、自炊が習慣になりました。

 

花火を見ながら屋台料理を満喫しました

夏になると全国各地で花火大会が開催されますが、私も花火を楽しみにしている一人です。小学生の頃は両親に連れられて花火を見に行きましたが、中学生になると友人と一緒に花火大会に参加するようになりました。

社会人になってからも、故郷の花火大会に参加したいと考えて、いつも休暇をとって帰郷するようにしています。

大きな音をたてて夜空に広がる花火を見ると、夏だと実感します。は花火を見ることも好きですが、実はそれ以上に楽しみにしているのが屋台で食べる料理です。

フランクフルトやかき氷、焼きそば、りんご飴などは定番ですが、それ以外にさいきんは広島焼きや北海道じゃがバターなどの少し珍しい屋台料理を食べることを楽しみにしています。定番のものを最初に食べてから、次に新しいものを食べるようにしていますが、珍しい屋台はついつい覗いてしまい、買い過ぎてしまいます。

屋台料理は少し値段が高めだと感じることもありますが、祭りの賑わいの中で食べるとなぜかいつもよりおいしく感じます。雰囲気が料理の味を引き立てるのか、いつも食べ過ぎだと言われるくらい沢山食べてしまいます。

河原に座って花火を見ながら屋台料理を食べると、本格的な夏がやってきたと感じます。久しぶりに再会した幼馴染と近況報告をして話すことはとても楽しくて、毎年恒例のイベントになっています。花火大会が終わると少し寂しい気持ちになりますが、また来年の花火を見るために故郷に戻ってこようと決心します。

 

野菜を中心にした料理を食べています

小学校の頃からサッカーチームに所属し、高校生まで部活はサッカー部に所属していました。大学になると、新しいスポーツにチャレンジしたくなったので、サッカーを離れて山岳サークルに入会しました。

サッカーは常に走っていなければなりませんし、山登りは全身運動だといっても過言ではありません。常に体を動かしている状態だったので、沢山食べても太ることはありませんでした。

しかし、社会人になり、仕事中心の生活になると運動不足になってしまいました。運動をしなくても食べる量を減らすことはできなかったので、どんどん太ってしまい、社会人になってから1年で5キロ以上太ってしまいました。

このままではさらに肥満になってしまうと心配になったので、食べる量を減らさない代わりに野菜中心の食事に切り替えることにしました。今までは自分で料理をすることはほとんどありませんでしたが、カロリー計算や栄養バランスを考えることは大事だと理解するようになったので、自分で料理を始めるようになりました。

最初は野菜を切って炒めるだけの簡単な料理しかできませんでしたが、少しずつ練習して煮込み野菜スープが得意料理になりました。煮込み野菜スープを多めに作っておくと、夕食だけでなく朝食にも食べることができるので活用がしやすいです。

飲みきれなかったスープはご飯を炊くときに使うようにしたら、そのご飯はオムライスやピラフを作るときに活用できるので助かります。