野村紘一が「フードコーディネーター」を語る!!

野村紘一

私、野村紘一がフードコーディネーターについて語ると題して、フードコーディネーターについて思っていることを書いてみようと思っています。

 

フードコーディネーターとしてのこだわり

フードコーディネーターになりたいと考えるようになったきっかけは、小学校の給食にあります。

小学校では月曜日から金曜日まで給食が出されましたが、さんは好き嫌いが多かったので、給食の時間が嫌でなりませんでした。

全て食べ終えなければお皿を返却することができず、お昼休みまで給食を前に席に座っている必要があります。

先生が残して良いと許可を出してくれるまで返却することができないので、周囲からの視線などが気になり、肩身の狭い思いをしたことが何度もありました。

今では好き嫌いも個性の一つだと考える傾向がありますが、当時は給食を残すことは駄目なことだと決められていたので、私にとっては給食の時間が何よりも嫌いでした。

そんな私は、大人への階段をのぼっていくと同時に、自然と好き嫌いがなくなり、食について興味を持つようになりました。

そして食への重要性を認識するようになり、自分の給食嫌いを思い出すようになりました。あの時、見た目がもう少し工夫していたら食べられたのにと感じることがあったので、フードコーディネーターになってからは味だけでなく見た目にもこだわるようになりました。

懐石料理などのように給食は見た目にこだわる必要がない、栄養バランスだけを考慮したらよいと考える人もいますが、子どもであっても見た目の良さを考慮すべきだという考えを持っていて、フードコーディネーターとしてアドバイスをしています。

 

野村紘一のキャリアの積み方

フードコーディネーターは幼少のころから料理に興味を持ち、自宅で料理を作ったり、学生の頃には料理店でアルバイトをしたりするなどしてキャリアを積んできました。

若いうちから独立して店舗を構え経営する傍らで、フードコーディネーターとして新しい食文化を開拓するためにコンサルタント業務もスタートさせました。

レストランをプロデユースしたり、食のイベントを主催したり、消費開発を手掛けたりと食の裏事情も知り尽くしている私だからこそできる実現可能で豊かな日本の食文化を国内外に披露してきました。

フードビジネスにかかわる流通、小売、生産者、教育といったあらゆる関係者と連携することで、専門的知識を生かし、デザイン、演出を手掛ける総合プロデユーサーのような役割を果たしています。

調査、企画、構成、運営、分析、評価といった過程すべてにかかわることができる能力を持つがゆえに、かつてないほどの規模と実行力をもってイベントを成功させています。地域を限定しがちな食の経営を全国を対象にしたエリアに拡大させることにも努めています。

食に対するセンスと才能が卓越しているために、フードコーディネーターのネーミング力が話題を呼び、化粧品や健康補助食品の分野にまで進出しています。

企画、開発、販売とチャンネルを持ち、トータルで責任を持つことのできる販売網を持つ会社でもあります。

 

職業を語る

昨今、フードコーディネーターなる職業をよく見聞きするようになりました。一言で言えば、食に関する仕事となります。

食全般についての広範な知識を持って、どうすれば食をより楽しめるか、好ましい食環境とは何かなど、食にまつわるさまざまな情報を提案するという仕事になります。

単に自分が料理ができるというだけでなく、食材の旬やそのTPOなど、幅広い食の知識が求められるものなのです。

この仕事は、そもそも、テレビや雑誌などで頻繁に食が取り上げられ、専門的な知識を持つ人が引っ張り出されるようになってきたことから始まったのです。

現在では、特定非営利活動法人日本フードコーディネーター協会が主催する資格認定試験に合格すれば、フードコーディネーターを名乗ることができます。

とりわけ、最上位の1級を取得すれば万人が認めるプロとして活躍できるレベルだとみなされています。
フード業界を目指す人たちにとっては、登竜門的存在となっています。

フードコーディネーターとして活動する私は、まさに食のためにこの世に生まれてきた存在だと自負しています。中学生の時点で、将来は料理人として身を立てる決意をしたほどです。

高校生のときから飲食店での調理のアルバイトを始め、30歳で店を立ち上げるに至りました。田村文洋氏の意欲はますます高まり、複数の店舗の経営だけでは飽き足らず、フードコーディネーターを目指すまでになったのです。

そして、今日のような一種のカリスマ的なポジションを獲得することができたのです。